おもちゃ買取実績 造形村 1/32スケール ドイツ軍 ドルニエ Do 335A-0 プファイル Pfeil ジャンルプラモデル ブランド VOLKS造形村 シリーズスーパーウィングシリーズ No.10 品名1/32スケール ドイツ軍 ドルニエ Do 335A-0 プファイル Pfeil 型番- 買取日付2017年07月18日 買取スタッフのヒトコト 今回ご紹介いたしますのは、第二次世界大戦中に開発されたドイツ軍の戦闘爆撃機「プファイル」です。 この戦闘機は、コックピットを挟んで2基のエンジンを前後に配置する「双発串型」という特殊なエンジンレイアウトを採用しています。また、垂直尾翼が上下に1枚ずつあり、その風変わりな機体形状から「プファイル(Pfeil:矢)」との愛称が付いたようです。 その一方で、機首の長い機影から操縦士たちは「アマイゼンベア(Ameisenbär:オオアリクイ)」とも呼んでいたそうです。確かに、パッケージのイラストを見ると、アリクイのように鼻先の長いユニークな姿をしていますね。 ちなみに、他の戦闘機と同様、緊急時にはパイロットが射出座席にて脱出できるようになっていましたが、この特殊な形状ゆえに、垂直尾翼に衝突しての負傷を避けるため、どうやらいろいろと面倒だったようです。まず、プロペラと垂直尾翼は爆発ボルトを作動させて投棄。次にキャノピー頂部左右のロックを解除し、投棄レバーを引いてキャノピーを投棄。最後に圧縮空気で座席を射出という何段階もの手順を踏んで脱出しなければならなかったのです。脱出が必要な緊急時ですよ。ひとつでも上手くいかなければ… なんて思うとドキドキしますね。 この「プファイル」が製造された経緯について少し。 事の発端は、ドイツ軍が「制空権のない状況下で敵地に高速侵入し、爆撃できる双発機」を開発すると発表したことでした。これに対して、ドルニエ社がエンジン串型配列機を採用した機体での設計案を応募。この案が採用され、Do335の名称で開発が開始されました。試作1号機は1943年10月に初飛行に成功します。速度性能は軍の要求値には及ばなかったようですが、運動性・安定性に優れた機体だったようです。 こうして翌1944年、軍の期待を背負い受注が始まったのですが、同年、連合軍による大規模な爆撃によって、ドルニエ社の生産工場は壊滅してしまいます。そのため、結局は終戦までにたった35機しか(諸説あり)生産されず、実戦参加の記録がないという不運の爆撃機となってしまいました。 歴史に「もし」はないと言われますが、この優れた機体が大量に配備されていたとしたら、連合軍にとっては大きな脅威となったことでしょう。そして、現代の世界地図も変わっていたかもしれませんね。 Tweet 関連する買取実績 造形村 スーパーウィングシリーズ 1/48 J7W1 帝国海軍局地戦闘機「震電」 タミヤ 1/12スケール ビッグスケールシリーズNo.30 フェラーリ641/2 F190 透明カウリング ニチモ 1/500完全スケールシリーズNo.18 米国海軍原子力空母 エンタープライズ USS CVAN-65 ホワイトボックス [二訂版] バンダイ MG 1/100スケール ネオジオン軍 ニュータイプ専用モビルスーツ MSN-04 サザビー /ガンプラ タミヤ 1/48スケール ミリタリーミニチュアビークルシリーズNO.4 ドイツ重戦車タイガー1(初期生産型) /プラモデル タカラ 1/48 ミサイルポッド装着タイプ ダグラム (ヤクトタイプ) アキュレイトミニチュア 1/48スケール TBF-1C アベンジャー アトランティック アメリカ海軍雷撃機 ハセガワ 1/24 ランチアストラトス HF 1976 サンレモラリー
買取スタッフの
ヒトコト
今回ご紹介いたしますのは、第二次世界大戦中に開発されたドイツ軍の戦闘爆撃機「プファイル」です。
この戦闘機は、コックピットを挟んで2基のエンジンを前後に配置する「双発串型」という特殊なエンジンレイアウトを採用しています。また、垂直尾翼が上下に1枚ずつあり、その風変わりな機体形状から「プファイル(Pfeil:矢)」との愛称が付いたようです。
その一方で、機首の長い機影から操縦士たちは「アマイゼンベア(Ameisenbär:オオアリクイ)」とも呼んでいたそうです。確かに、パッケージのイラストを見ると、アリクイのように鼻先の長いユニークな姿をしていますね。
ちなみに、他の戦闘機と同様、緊急時にはパイロットが射出座席にて脱出できるようになっていましたが、この特殊な形状ゆえに、垂直尾翼に衝突しての負傷を避けるため、どうやらいろいろと面倒だったようです。まず、プロペラと垂直尾翼は爆発ボルトを作動させて投棄。次にキャノピー頂部左右のロックを解除し、投棄レバーを引いてキャノピーを投棄。最後に圧縮空気で座席を射出という何段階もの手順を踏んで脱出しなければならなかったのです。脱出が必要な緊急時ですよ。ひとつでも上手くいかなければ… なんて思うとドキドキしますね。
この「プファイル」が製造された経緯について少し。
事の発端は、ドイツ軍が「制空権のない状況下で敵地に高速侵入し、爆撃できる双発機」を開発すると発表したことでした。これに対して、ドルニエ社がエンジン串型配列機を採用した機体での設計案を応募。この案が採用され、Do335の名称で開発が開始されました。試作1号機は1943年10月に初飛行に成功します。速度性能は軍の要求値には及ばなかったようですが、運動性・安定性に優れた機体だったようです。
こうして翌1944年、軍の期待を背負い受注が始まったのですが、同年、連合軍による大規模な爆撃によって、ドルニエ社の生産工場は壊滅してしまいます。そのため、結局は終戦までにたった35機しか(諸説あり)生産されず、実戦参加の記録がないという不運の爆撃機となってしまいました。
歴史に「もし」はないと言われますが、この優れた機体が大量に配備されていたとしたら、連合軍にとっては大きな脅威となったことでしょう。そして、現代の世界地図も変わっていたかもしれませんね。